エチオピアの国旗 はじめに
エチオピア連邦民主共和国(2006年8月作成)

標高3600メートルに咲く花
標高3600メートルに咲く花
   てっちゃんは1999年3月からエチオピアの幹線道路建設工事に従事した。残念ながら、妻が末期がんに侵されていることが判明し、2001年6月に任務半ばで日本へ帰国した。

工事現場はアジスアベバから北へ延びる幹線道路で標高3000メートル付近を走る。低緯度にもかかわらず気温は低く、12月には氷点下まで下がる。

エチオピアといえば旱魃、洪水というイメージがあるが、これはエチオピアでも低地の地方で、高地ではほとんどそのようなことは起こらない。国内全体では食糧は自給できる程度の生産できるらしいが、インフラの不備で自国では旱魃等に対応できず国際機関に頼ることが多い。

地方へ行くと民族、部族間の紛争が絶えず、エリトリアとは国境で紛争が続いていて、国全体を自由に旅行することは治安上困難である。それでも歴史が古いので、見るべきところは多くある。

エチオピアの暦は独特で正月は西暦の9月11ないし12日で西暦から7年引いた年になる。1ヶ月は30日で5日ないし6日の13月がある。すなわち1年が13ヶ月なのだ。日本で言う朝の6時がエチオピアでは0時である。一日は真夜中から始まるのではなく、朝から始まる。「明日の8時に会おう」というと、彼らは午後2時にやって来る。何度こういうことがあったことか。

経済と政治の実感を握っているアムハラ族とティグレ族にはキリスト教徒が圧倒的に多い。しかしこれも変わっている。エチオピア正教といわれるものだ。エジプトのコプト教とはかなり近いらしい。北アフリカがイスラム化された後もエチオピアはキリスト教を守ってきた。しかし、ヨーロッパとの交流が絶たれたため、古いキリスト教がそのまま残っていて、しかもイスラムの影響を多く受けたので、独特のキリスト教になったらしい。

日本人にとってエチオピアといえばアベベである。ローマオリンピックで裸足で走って金メダル、東京オリンピックでまた金メダル。標高3000メートルの高地にあるアジスアベバの郊外では多くの人が毎朝ランニングしている。これを見れは、ここからオリンピック選手が生まれるのは なるほど とうなずける。